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ニッポンの中のアジア まかりとおる推定有罪 #3 -ある冤罪被告人からの手紙-
 
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張さんからの手紙 Vol.3
拝啓

春を楽しむ心の余裕さえありませんでしたので、いきなり訪ねてきたような暑さに少し戸惑いを感じています。いよいよ長かった連休も明けましたが、良いお休みになりましたでしょうか?


連休はつらい

檻の中に閉じこめられている者にとって、長い連休というのは、まるで熊の冬眠に等しいものです。連休中には面会も手紙の発信もできませんし、屋外運動や(物品)購入なども一切できなくなってしまいます。正月連休の場合には、まる一週間も舎房の中に閉じこめられた状態ですので、その苦痛は身をもって経験した者のみが知る特別なものです。

去年の今頃だったと思いますが、仙台拘置所の守大助さんの方から「この大型連休はほんとうに何とかならないんでしょうか?」という苦情の手紙をもらったことがありました。彼の場合は全国にたくさんの支援者がいますので、遠い地方からはるばる仙台まで面会に来る方も多いらしく、もし連休の間に面会が許されるのであれば、どれほど助かるだろうか、と悔しんでいました。

ところでサイパンの拘置施設に不当勾留されている三浦さんの手紙を読んでみると、そこは日本とまったく逆のシステムになっているらしいですね。つまり、平日ではなく休日のみ面会が許されているらしいです。施設側の都合よりは面会に来る市民の権利を優先させているのではないでしょうか。

むろん、それなりの長所、短所はあると思いますが、働き者の国である日本だからこそ、平日に時間を作って面会に来るのは大変だろうと思います。もう少し行政システムを市民の立場から考えても良いのではないかと思いますが、看守達の正時退勤のために午后4時に夕食を食べさせるところなので、連休中の面会は夢のような望みなのです(苦笑)

さて、送って下さった(HPの)プリント物とお手紙は大変嬉しく読ませて頂きました。お手紙は連休が始まる前に私の手元に届きましたが、プリント物はここの業務がオールストップしてしまったため、ようやく連休明けの今日、入れてもらいました。


拘置所生活ガイドブックを執筆中

まず近況報告を致します。

1月末から取り組んできた上告趣意書とその他の補充書T、Uの作成をすべて終えました。A4便箋にして総計470枚の分量になります。裁判所に提出するためにはコピーをとって3部作らないといけませんので、客野美喜子さん(註・無実のゴビンダさんを支える会)にいつもながらご迷惑をおかけしております。

3ヶ月間も頭を痛ませておりましたが、いざ書き終えるとほっとするよりはむしろ、何か物足りなさを感じています。もう少し時間的余裕があったのなら、より説得力のあるものに仕上がったと思いますが・・・・・

それにしても、これさえ書き終えれば、ちょっと読みたかった本などを手にとってゴロゴロできると思っていましたが、少し余裕ができたとたん、また変なことに手を出してしまいました。

以前からずっと考えていたことなのですが、4年間の拘留経験を生かし、日本語ができないために当然保証されている自己の権利すら受けられていない外国人に、「拘置所生活のガイドブック」を作っています。外にいる一般人の方々にはあまり知らされていないと思いますが、刑事収容施設内での外国人の人権侵害は実に深刻なレベルであります。

日本人であっても、ここに収容されれば戸惑うはずであるのに、言葉が通じない外国人にとっては、何倍も大変なことになります。特に施設の特殊性のせいか、遵守事項の告知はあっても、権利の告知はしてくれませんからね。

この中ではすべての生活が「願箋」による手続きで管理されています。

(物品を)購入するにせよ、物を外に送るにせよ、願箋で申し込まないといけないのです。また、購入品リストに何が書かれているのか、日本語が読めなければまったく理解できず、話が通じないから看守に聞いてみることさえできません。

「FOOD,FOOD!」と言ったら、「パンでいいのかい?ぱん、OK? 何個買う?ワン?ツー?」

実際、日本語がほとんど出来ない人は、パンがBREADを意味していることさえわからないのです。


カイロを買えなかった思い出

 ひとつエピソードをご紹介しますと、私がこの事件で、不当に起訴されて熊谷拘置所に収容されていた頃のことでした。熊谷署の代用監獄からそこに移監されたのがちょうど12月17日でしたので、いきなり灰色の囚人服を着せられて(私服は検査のために翌日から着られます)暖房も入っていない3畳独房の中に放り込まれたときの衝撃は、未だに忘れられません。昭和50年と書いてあったぼろぼろの茶色の毛布を被って寝るのですが、あまりにも寒くて一睡もできませんでした。

 関東地域の中でも熊谷の寒さと暑さは有名なものであって、その独房の中で一冬を過ごした頃には、生まれて初めて手足に凍傷を経験したありさまでした。

どれほど寒かったのか。手が凍って文字が書けませんでしたので、1日3回配られるお茶を小さいやかんにもらい、それを太ももの間に挟んで手を温めながら、日本語の読み書きを勉強していました。

後になってからわかりましたけれど、拘置所の中からもカイロというものがちゃんと買えるのです。しかし、私は日本語で書かれている購入品リストが読めませんでしたので、手足に凍傷を負いながらも、カイロ無しに冬を乗り越えるしかありませんでした。

おまけに否認している被告人の場合は、絶対雑居房に入れてくれませんので、狭い独房の中に閉じこめられていると、まったく情報が得られなくなってしまい、看守が教えてくれないと、何もかもわからない状況に置かれてしまうのです。あの死ぬほど苦しかった酷寒の中、カイロが買えることを誰かがおしえてくれたなら、どれほど助かったことでしょう。 

幸い、この東京拘置所には冷・暖房が入っているのですが、満足するくらいの暖かさではありませんので、南国から来日した外国人にとっては、やはり弱い暖房だけに頼るのは辛いはずです。また、ラジオ放送なども日本語ができない人にとっては、単なる騒音にしか聞こえませんし、連休でも始まるとまさに生き地獄そのものなのです。

こういう問題に関しては、本来なら日弁連などが取り組むべきだと思いますが、実際に身をもって経験してみないと得られないノウハウなので、せっかく覚えた日本語ですから刑が確定するまでのわずかな期間を利用して、ガイドブックを作ってみるつもりです。

もちろん、翻訳の方々を募集しないといけませんが(笑)

いただいた手紙の中に民事裁判のことが書かれていましたが大変でしょうね。民事の場合には刑事訴訟と違って、被告側も挙証責任を負うことになると知っていますが(現実的には刑事訴訟においても裁判所は、しばしば被告人に挙証責任を負わせるのですが)。どうか良い結果が出ますように・・・。

長くなって失礼致しました。

実は、今日は通訳の話題で手紙を差し上げようと思いましたが、次回に書かせて頂くことにしましょう。

それではまたお手紙を差し上げますので、ご自愛下さい。

すべての人々に自由を!

敬具

平成20年5月7日

無実の張禮俊
張さんからの手紙は、いつも、拘置所がいかに特殊な環境かを思い知らせてくれる。

先回のコーヒータイムしかり、今回の連休のとらえかたしかり。「檻の外の」我々は、連休を楽しみにして遊びに精を出すというのに、拘置所では面会も手紙の発信も物品購入も許されぬ「停滞した日々」になる。それくらいの不自由はがまんしろ、というのが管理側の言い分なのだろう。

 それにしても仙台の守大助被告やサイパンの三浦和義元社長らと張さんが、冤罪支援のネットワークでつながっていることに市民運動の底力を感じる。彼らの救済に献身的に運動をしている人々と知り合って、私もずいぶん世界が広がった。

最高裁への趣意書や補充書は、結局A4便箋470枚、という膨大な枚数になったと知り、さもありなんと思った。自分は無実であるという信念に基づき、不当判決を見直して欲しいという強い願いや裁判で言い足りなかった思いを積み重ねれば、富士山の高さにも届くだろう。

張さんの不屈さは、それを3ヶ月をかけて書きあげた後、こんどは外国人拘留者のためのガイドブック執筆を始めたという点にも表れている。このてのガイドは、日本人による日本人のためのものなら出版されているが、外国人のための指南書こそ必要だろう。

国土交通省の「ようこそJAPAN」キャンペーンのおかげで、駅や公共施設にはだいぶ外国語(英語、中国語、ハングル語など)の説明文が増えた。さすがに拘置所の中までは「ようこそJAPAN」と言うわけにはいかないだろうが、国際化とともに増加する外国人収容者数を考えれば、“番外地"の施設にこそ外国語案内を置いてほしい。通訳ボランティアがそう簡単に出入りできないなら、所内で彼らと接する係官の外国語教育に時間がとれないものか。さもないと意思の疎通が生じ、人権に反する事態が起きやすくなる。

張さんの手紙には「翻訳ボランティアを募集中」と書いてあったが、英語、中国語、ハングル語、スペイン語などなど各国の言葉が必要だろう。出版計画については次の手紙で聞いてみようと思う。

先日、私は手紙(5月1日発信)に以下のようなことをちょっと書いた。

「実は私の叔父が、心臓の手術が原因で亡くなった叔母のために病院を相手取り医療過誤の民事訴訟をしておりますが、裁判前の論点すりあわせにもう4年もかかっています。原告と被告両者の弁護士が書類を提出し、それを裁判官が事前審議する。我々の知らないところで作業が続いていて、時間だけが経過していきます。遺族の叔父は弁護士とやりとりするだけで、いったい誰のための裁判なんだろうか??と疑問を持っています。」と。それに対し、心配までしてくれて恐縮。(この話は、また機会を改めて報告したいと思う)。
 今、彼は「万事を尽くして天命を待つ」しかないわけだが、よい知らせが最高裁から届くことを心より願っている。